自分だけの+1を探せ

こんにちは、院長の坂本です。開業の準備を着々としていますが、定期的に大きな不安に襲われます。

こんなことを吐露していいのかわかりませんが、自分にとっては覚悟を決めて、大きな額の借入をしてクリニックを開業に突き進んできたわけなんですが、病院を0スタートで立ち上げることすべてが初めてのことなので、「このまま進んで本当に大丈夫だろうか?」「間違った努力をしていないだろうか」「患者さんが来てくれなかったらどうしよう」などの漠然とした不安が定期的にやってきます。

誰だって不安になって当たり前かもしれませんが、一度不安になると夜も眠れなくなります。そんなときは、自分がどうして大学病院の勤務医を続けるのではなく開業医になろうと思ったかを確認するようにしています。私は大学病院でたくさんの難しい病気の患者さんの治療に携わらせて頂きました。通常の病院やクリニックでは治療が困難な患者さんが大学病院に紹介されて来るたびに頭を抱えながらもなんとか目の前の患者さんを治療したいと主治医として真剣に向き合ってきた時間は、大変ながらも、私にとって本当に充実したものでした。その中で感じてきたことは、産婦人科に受診することに対する患者さんの心理的なハードルの高さです。自分ではおかしいな?と思っていても婦人科に受診することがないまま病状が進んでしまった患者さんを多く見てきました。一般的に、大学病院には【難しい病気の診断がついてから】患者さんが紹介されてきます。もっと早く病院に来てくれていれば、と思ったことも何度もあります。

私は産婦人科医の仕事は妊娠出産が終わったら【はい、終了】だとは思っていません。女性の身体は新しい命を育むための素晴らしい機能が備わっている反面、とても繊細です。ちょっとしたことでホルモンバランスが崩れて様々な不調がでてきてしまいます。私はずっと、女性の健康を維持してサポートするためには、産婦人科医が内科や泌尿器などの一般的によく遭遇する【ちょっとした女性の不調】を診るべきだと考えてきました。なんでもとりあえずここに来れば治療が受けられるというかかりつけクリニックがあれば、もっと早くいろんな病気を見つけられるのではないかと思っています。

私なりにですが、これまで医師人生をかけて研究と手術に真剣に取り組んできたので、そのまま大学病院で研究と難しい手術を極める道に進むかそれとも開業するか、ずっと悩んで最終的に開業することに決めました。「せっかくいい研究してきたんだから、開業したらもったいないよ」たくさん声をかけて頂いて本当にありがたかったですが、自分は医師として患者さんにとってもっとも身近な存在でありたいと思ったので、開業してがんばることを決めました。これまでやってきたことも無駄になったとは思っていません。大学病院で真剣に研究と難しい患者さんの診療にあたってきた経験が、今後の開業医としてのエッジに変わると確信しているからです。私はみんなが安心して通院してもらえるような女性のためのかかりつけ医がもっと増えて、定期的に婦人科の検診を受けることが当たり前の世の中にしたいと思っています。

そう考えると、やっぱり不安になってる暇はなさそうです。『ここまでやってだめならしょうがないか』と思えるまでやってきたのかと自問自答して、その答えがNOの間はひたすら努力してがんばっていくだけです。

最後に、私が尊敬する経営者である井村屋グループ社長の中島伸子さんのに関する記事で感銘をうけたものがありましたので、一部抜粋します。中島さんは、アルバイトで入社した井村屋で真剣に仕事に取り組み続けた結果、女性でありながら社長にまでなられた方です。中島さんは、700人以上もの死傷者がでた1972年の福井県の北陸トンネルで列車火災事故の生存者の一人であり、とてもつらい経験をされています。

火災が発生したとき、3人の子を連れた母親から「この子だけでも逃して」と5歳の子を託され、その手を取って炎の中を懸命に逃げたという。

しかし、煙に巻かれて意識を失ってしまい、目覚めた避難先でその母子は4人とも亡くなったと聞かされた。自身も火事で熱気や煙を吸ったために喉を傷め、声がほとんど出ない状態に。声が出せないと教師として教壇に立つこともできない。託された子を救えなかったという罪悪感に、教員の道が絶たれた絶望感が重なり、苦しむ日々が続いた。

やがて、父親がくれた手紙をきっかけに、中島さんは徐々に前を向けるようになっていく。「『辛』という字に1本の線を足せば『幸』になる、必ずその1本を見つけて幸せになれるときがやってくる」──。手紙にはそう書かれていた。

「託された命を守れなかった…」井村屋初の女性社長を支えた19歳のときの壮絶な経験

今年は震災がありました。私の身近な人が何人も亡くなって辛い以外の言葉がありませんが、私も自分なりの+1をみつけられるように真剣に生きていきたいと思います。